2007年04月05日

ちょっとだけ、珍しくクラシックの話。(と、今更だけどドラマのだめカンタービレ)

この↓新しいホームシアターセットを買ってから、
http://rianz.seesaa.net/article/33636401.html
クラシックの大好きなだんな様は大喜びでいっぱいCDを買ってきた。
それにしても、クラシックCDは安くて、一枚それこそ2ドル、3ドル、四枚組みでも8ドルなんて感じなので買いたいものが容赦なく買える。

私もちょうどままりんが遊びに来たから、日本で持っていたもので好きだったCDを持ってきてもらったり。(ちなみに、私は王道以外では、リムスキーコルサコフが好き。)

そして、最高にタイミングがよかったのが、友達が録画したのだめカンタービレを貸してくれたこと!
このスピーカーが6つのステレオセットで見るのと見ないのでは、演奏部分のよさが100倍も違ったと思うからほんとよかったー。最後のベト七では、ほんと二人で涙しましたもうやだ〜(悲しい顔)(おい…)。
次は、懐かしのアマデウスをこのセットで見直そうと狙っているだんな様。

私も、別にクラシックが趣味!というほどではないけれど、好きな曲は好き。
それにしても、サラウンドのホームシアターセットで聞くオーケストラは、ふつうのCDラジカセなんかに比べると凄まじい迫力です。

ベートーベンは、5番の運命の部分が一番最初に頭に浮かぶ人が多いってことで、すごく損してる気がする。ほんとはあんなに明るい美しい旋律の曲が多いのに…
ただでさえ、気難しそうな肖像画で一般人の印象暗いのに〜
そういう意味(どういう?)でも、ドラマののだめの全体のテーマがベト七だったのは、すごく素敵な選択で、みごとだったと思う。
千秋様のラフマニノフも最高に美しかったけどーハートたち(複数ハート)

だいたい漫画のドラマ化って、がっかりすることが多いけど、これは音楽部分がちゃんとしてるし、また登場人物がかなり丁寧に原作どおりに作られてることもあり(クラシックライフ編集部の女の人だけあんな顔黒ギャル系じゃなかったけど…)、ほんと面白かった。



そんなこんなで、こうやって、久しぶりにいろんなCDを通して聞いてみると、ベートーベンとモーツァルトは、たしか10年とかしか違わないはずなのに(専門じゃないからあまり詳しくないけど)、モーツァルトの時はまだはっきり残っているロココ、バロック色が、ベートーベンだとあまりに完全に払拭されているのが不思議な感じがする。モーツァルトの影響を受けてるといっても、たった10年でこんなにも違う…時代背景の違いって、すごい。

でもこういう大好きになるような曲って、ききながら何かするのには不便…のだめで使われた、ベト七にしても、ラフマニノフのピアノ協奏曲にしても、ラプソディ イン ブルーにしても、思わずとまって、真剣にそっちを聞いてしまうので、なんかしながら聞けない。
だから本とか読みながら、聞くともなしに流し聞くには、ブラ2(ブラームス2番)みたいな退屈なやつ(おい…)のが向いてるよね。

あとBGMとしては、楽しくて軽いから、チャイコの胡桃割り人形や白鳥の湖も大好き(交響曲は…)。
リムスキーコルサコフはシェヘラザードが大好きなんだけど、私はそういうストーリー性のあるわかりやすいオーケストラが好きみたい。(小難しいのはわからん)

学校がカトリック系だったから、モーツァルトの戴冠ミサは、いまだにすべてラテン語で歌えるriaでした(校長先生喜ぶだろなー…)。
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2007年01月24日

怒りの葡萄

リビングから見たある日の夕日。

070124 sunset.jpg

NZ平屋が多いから、住宅地なのにこのくらい空が見えるんだな〜(うちも平屋だ)。

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スタインベックの怒りの葡萄…この有名な話をやっと読んだよ〜
ずっと、多分10年も読もうと思いつつなんとなくタイミングを逃してたんだけど。
そしたら。

めちゃくちゃ面白かった!
この一年で読んだ本で、一番でした。
さすがピューリッツア賞もノーベル文学賞もとっただけのことはあったーっ

あまりに有名な話なんで、あらすじとかは私が言うまでもないと思うけど、こういう話を読んでいつも思うのは、人が餓死するような貧乏人(戦争とかじゃなくても)がいる世界は、ほんのちょっと昔(少なくともうちのおばあちゃんはもう生まれている程度の昔)にはまだまだ世界中にあったんだなあってこと。

ドストエフスキーとかでも、しょっちゅう人が貧乏で死にそうになってるし、ここではアメリカでも、一方ではこんなに豊かな人がいて、一方では主人公達のように、今日一日食べる分さえ稼げず、家族総出で稼いだ1ドル2ドルで、その日の夕食分だけなんとか稼いで生き延びてる人たちが何十万人。

こういうのを読むたびに、今の格差社会とかで大騒ぎしてる人たちなんて、バカらしくなってしまう。

昔のこととか、現在でもアフリカで餓えてる人とか、確かに下をみてもきりがないともいう。

けれど、それにしても今の朝日新聞やらがやたらクローズアップして大騒ぎしたがっている格差社会なんて、例えばこの時のアメリカにしても、明日食べるものすらない貧乏人を平気で迫害するような、持てるものがいる社会に比べたら、ほんとにただの幻想にしかすぎない。

本気でちゃんと頑張ったら、今の日本程度の格差、資本主義国ならあたりまえの程度の貧乏から、抜け出せないはずがないのだから。
(もちろんお年寄りとか体が不自由な人は、それができないのだから手助けするのはあたりまえとして。働ける状態の人は、今の頑張りが足りないか、今までの頑張りが足りなかったか、そもそも能力が足りないかどれかでしょう。そういう人たちまで平等に、という人は社会主義国に引っ越すしかない)


とまあ、貧乏人にばかり焦点をあてて、それをより卑屈にさせ、小金がある人に優越感をあたえるだけの朝日新聞に対する日ごろの不満が出てしまったけど、本題にもどろう。


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ジョード家が、家を追い出されてから、ちゃんとカリフォルニアにつけるんだろうか、明日食べるものは手に入るんだろうか、とずっとすごい緊迫感。

明日は追い出されるんじゃないか、誰か死ぬんじゃないか、殺されるんじゃないか、住むところはあるんだろうか、また騙されるんじゃないだろうか、たまたまもぐりこめた、少しは快適なところを、出ないで生きていく方法はないのだろうか…

こんな生活でも人々が支えあっている、なんていうヒューマニズムなことをいいたいわけではないけれど、この明日をもしれない人たちが、ことごとくこんなにも気前がいいのはどういうことなんだろう。

例えば自分が災害にあっているような状況、住む場所もない、お金もない、今持っている食べ物だって、今日家族が食べる分としてもたりないという状況で、今日ほんのちょっと残った食べ物を、他の人にわけてあげることができるだろうか?

できない。私はできない。自分と家族のために、とっておいてしまう。

だいたい現在の日本で、なんの見返りも求めず、見ず知らずの人に、ほんのちょっとでも与えようという人がいるだろうか?
“友達が家に子供連れでいつも遊びに来て、うちばかりお茶代がかかって困ります”なんていう人生相談を見ると思う。

そう考えるたびに、この人たちの(一人や二人ではない)親切とかいうレベルではない、与える時にそんな葛藤さえない行為が、キリスト教というバックグラウンドからきているとしたら、キリスト教はやっぱりすごいなあ、と思う。

この怒りの葡萄でも、ワイルドスワンの中国人も物語りのひとつの構図は同じだ。
地主やら、金持ちやら、役人やらの迫害で、明日の命をもしれない危機的状況となり、それを家族の力で生き抜くというところは。

それなのに決定的に違うことがある。


ワイルドスワンでは(パールバックの大地でもいいけど http://rianz.seesaa.net/article/18341350.html)中国人は自分と同レベルの隣人の足を引っ張り、奪い合い、憎みあい、自分より少しでもいいものを得たら嫉妬する。

怒りの葡萄では、上から迫害されても、困っている隣人同士は助け合う。ほんの少ししかない食べ物をわけあう。当たり前のように。


多分、隣人の言葉の定義からしてちがうのだろう。

西洋の人にとって、隣人とは助け合うもの。
中国人にとって、隣人とは、少しでも自分が上にいくために奪い合う人のこと。


なぜ、西洋文化圏の人たちが、こんなにみんな親切なのか―
それほど親しくもなくても、こんなにいろんなものを与えてくれるのか―
この答えがここにある気がする。

ボランティアとか、ワークシェアリングとか、そういうことに対することを議論する前に、この本を読んでみるといいと思う。
おそらく、キリスト教文化圏の人たちは、こういうふうに、当たり前に助け合い、分け合うことができているのだ。

こんなに親切なジョード家の人々が何かするたび、

“ああっ、それは明日食べるものがないときのためにとっておいたほうが…”

“ああ、ただでさえ仕事がなくて死にそうなのに、他の労働者にも気前よく仕事の情報を教えてあげちゃって…”

“ああ、そんな行きずりの人に、そんな大金(彼らにとっては)あげちゃって…”

と思ってしまう私は、全然修行が足りない。


日本の多くの人たちも、嫉妬しあい、足をひっぱりあう、パールバックの中の中国人のようになっているのではないだろうか?
(とくに朝日新聞←しつこい)

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2006年11月22日

ロレインとお好み焼き

だんな様もいないし、今日はロレインが遊びに来た。
仕事のおわっただんなさんのクリスに子供を預けて、7時くらいから夜12時くらいまでしゃべりまくるのが恒例。

ロレインは日本食にも興味があって、今日は面白い本を買ったの〜っといって持ってきた。
アマゾンで探したら…あった。びっくり。

日本女性は太らないし老けない!というタイトルのすごい本。




レシピとかかいてあるけど、ペーパーバックで写真とかないので、これ見て料理つくるのはけっこう大変かも。

それ見ながら、

“What’s Kaiware daikon??”

とか聞いてくるのだが、カイワレダイコン知らない人に説明しろって言われると…

ダイコン自身はTurnipとかChinese turnip、あの白くてでかいにんじんみたいな形の!とかいうと通じる。

でも、だいたいカイワレってダイコンの仲間なの?

知らないものはしょうがないので、
“サイズ的にはbean sprouts(モヤシ)ってかんじなんだけど、味はサシミの下に引いてある細切りのダイコンがちょっとピリってスパイシーじゃない?(ツマはこっちの日本食レストランでもあるので通じた)あんな感じのぴりっていう刺激がちょっとある芽ってかんじ”

ごぼうもレシピにあるのだが、聞かれても

“うーん、なんか根っこ野菜なんだけど、黒っぽくて、こーんな長くて特にどうといった味がするわけではないんだけど、歯ごたえを楽しむ野菜”

とかしか説明できず、“ほんとにつうじてんのか?”という世界だ。

で、今日はとりあえずお好み焼きの作り方を教えてあげた。
だって簡単。

小麦粉→とくだけ
キャベツ→切るだけ

あとは、フライパンの上でポーク薄切りとコーンとタマゴのせるだけ。
(全部混ぜる式は好きじゃない)

お好みソースはこっちのスーパーでも最近は手に入るので(高いけど。小さいので6ドルくらい)あとはもしあればかつお節と青海苔をジャパニーズスーパーで買えば〜というだけ。

とっても好評でしたるんるん

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2006年10月05日

天の瞳

久しぶりに灰谷健二郎の本を読んだ。
多分小学生の時に、兎の眼や、太陽の子を読んで以来、ずっと灰谷さんのファンだ。

この本は、たまたまこちらの日本人が、古本で売っているのを発見したのだ。
うーん、ほんとに久しぶりに読むけど、やっぱり灰谷さんはすごい。
大人にも読めて、子供にも読めるこんなすごい本がかけるなんて。

みんなに読んで欲しい本だと思うけど、少なくとも、教職の試験の一環として、この本の読書感想文を必須科目にするべきだと思う(私も教員免許もってますが)。


この歳になって、気付かぬうちに、小学生という存在が、理解できにくい、遠くにあるものにいっちゃってることに気付いた。
時々会う知り合いの子供が小学生だけど、特別に話たりすることはなかったし。

でも、そんな自分の気持ちに気付いたら、正直びっくりした。ついこの間だったように感じる大学生の時は(そうはいってもけっこう昔…)、家庭教師で小学生とか中学生とか教えてて、彼らとの間に壁を感じることなんてなかったのに。
今は、いつのまにか、うーん小学生、ちょっと扱いづらいっけ?
とか思ってることもある自分。

別にそれがいいとか悪いとか老けたとかってことではないけど、やっぱりいつの間にか、自分がかわってることに驚く。

私は急に自分がかわったとか、あんまり今まで思ったことがなくて、どちらかというと自己の連続性を感じることのほうが多かったけど、29歳とか30歳とかから突然、人生ではじめて、ある種のものの見方が変わったという感覚を持った。

例えば、小学生の時のことを思い出したとき、今までは主観的に思い出していたのに、今では同じ記憶なのに、それを見ていたであろうままりんや先生側の視線として突然思い出されたり。
こんなこと、今までなかった。

こんなに医療が発達していなければ人間の寿命は60歳、というわけで30歳はあきらかに動物的には人生のターニングポイントなんだ、と感じる今日この頃。

私はかなり明確に小学生の時のことを覚えてるけど、時々泡のようにふと浮かんでくる思い出は、どちらかというと胸の痛みを感じたようなことが多いのだけど。


話は脱線したが、こんなに子供のころに思いをはせさせる灰谷健二郎の本。
まだ2巻までしかよんでないけど、ここまでで、ニートにも不労所得を得ることばっかり考えてる人にも聞かせたい、倫ちゃんのおじいちゃんの一言を引用(ちょっと長いけど)。


「おまえは学校で勉強しているな。学校の外でも、いろいろなことを学んでいる。人間はものを学んで、その次、なにをする?」
「仕事」
と倫太郎は答えた。
「さすが、じいちゃんの孫や。それが、きっぱりいえる人間は、この世の中にそんなにおらん。仕事というものは、これまで、いろいろなことを学ばせてもらってお礼でもあるから、いつも人の役に立っているという心棒がなかったら、その仕事は仕事とはいわん。ただの金儲けと仕事は区別せんといかん。じいちゃんが仮にAさんという人に家を建ててあげたとして、それが、よい仕事だとAさんはよろこぶな」
「うん」
「じいちゃんがお寺を建てたとする。それがいい仕事だと、お寺にお参りに来る人は、その普請をみて、結構なものを見せていただいて心が安らぎます、とお礼をいう。仕事は深ければ深いほど、いい仕事であればあるほど、人の心に満足と豊かさを与える。人を愛するのと同じことじゃ。ひとりの人間が愛する相手は限りがあるが、仕事を通して人を愛すると、その愛は無限に広がる。そうして生きてはじめて、人は、神様からもろうた命を、生き切った、といえるのじゃ」
倫太郎の目は、じいちゃんの上に止まって、ぴくりとも動かない。
「仕事をしない人間は、我欲ばかりつよくなる。こせこせとちっぽけなことに気がいって、小理屈が多くなる。他人のことをあれこれいう。ほんとうに大事なものが見えていないから、流行を追っかける。自分を見失うので執着がふくらみ、つよくなる。そんなふうに生きてしまうと、神様からもろうた命を生き切ったことにはならない。未練ばかりが残ってしまうのじゃ」
(天の瞳幼年編U P120)




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2006年09月28日

麻雀放浪記



ジャンプで漫画になったのは日本では全部読んでたけど、原作のほうは初めて1巻〜4巻まで全部よんだ。

はっきりいって面白いです。多分麻雀わからない人にも。
これだけの人が賞賛してて、(別の作品だけど)直木賞ならなにやらとるというのが納得。

細かい麻雀の戦いの内容を流し読みにしたとしても面白い。ついでにドサ健バクチ地獄(上/下)のほうもよんだが、これもすごく面白かった。



こっちは、メインの種目はホンビキというバクチで、ルールさえはっきり書かれていないけれど、同じ理由でそれは問題ない。

限られた人間の中で、100万円でもあっさり勝ったり負けたりして奪い合って、すごい金利でまたお金借りてきて、それも負けて、みんなどんどん破産したり、ヤク中になったりしながらそれでもバクチをやめない。
普通の世界からいったら、まったく理解不能な世界の常識を、読んでる間はなんか納得していけちゃう。

でもジャンプから入ってる私は、かっこいい哲っちゃんのファンなので、新麻雀放浪記のほうで、禿げて肉がついてきたとか書かれると悲しいです…仕方ないけど…

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2006年07月06日

東京タワー



読みました。

私は泣けたもうやだ〜(悲しい顔)
私の家族や生い立ちが、リリーさんの家族と似ているというのではまったくないけれど、リリーさんがおかんのために苦しむところに涙する自分は、同時に、自分のおばあちゃんのこと、ままりんのこと、なんかを考えさせられて泣いているのだと思う。

東京の人ごみで、この全ての人は既に、またいつかは必ず、この苦しみに出会うのだというのは、本当に共感できるところで、私は母親から生まれた人すべて、要するに全ての人がこれに共感できるはずだと思ったくらいだ。


が、後でアマゾンの書評を読んでみて、共感できた人と出来てない人が実は半々くらいなのに驚いた。

ストーリーとしてどうとか、文章がどうとか、そういうことは知らないが、ここにつづられているおかんへの思いに、否定的ともいえることを書いている人がいるのに驚いた。
私は、おかんに対するリリーさんの感情に、なるほどと思わなかったものは一つもないくらいだというのに。


当たり前だと思っていたけど、もしかして、リリーさんにとってのおかんに相当するようなお母さんがいるというのは、当たり前のことではないらしい。

こんなこと書くと、“いいお母さんがいると自慢している”風に思われて、だからこそこの話も、それに嫉妬してる?のか、共感できない人たちから、けっこうきつい書評を受けてるのでは…

つまり、ステキなお母さんを持っている人には、いつか自分に訪れる母親との別れを考えただけで涙なしには読めません。


そして残念ながらそういうお母さんを持たない人には

>自分の親を考えると彼の親に対する思いにはどうしても共感できず涙も出ず。

とか

>感傷的過ぎるところと自己中で幼稚なところには辟易してしまいました。
(母親が死ぬとき、感傷的過ぎない人がいるのか!)

とか

>自己陶酔なさるのはご自由だけれど、読者は、一歩引いた目で値踏みをしながら読むことも必要だと思う。
(おかんのことをこうやって考えるのが自己陶酔か?)

とか

>私はどこかで「うちは違う」と冷めてしまいそうにもなりました。素敵なオカンをもつリリーさんへの嫉妬といえばそれまでですが…。

とか

>男の子と母親というものは、女の子と母親という同性の関係とは 全く違う結びつきなので、世の男性にはウケタのだろうな〜と少々冷酷な目で見てしまいました!
(いや、私は女だけど、男とか女とか関係ないと思う…)

とか感じられちゃうのでしょう。


これをマザコンと書いているのは、残念ながらこうやって愛せるお母様を持てなかった人たちの感想で、普通にいい両親を持った人にはマザコンでもなんでもなく、これが普通の感覚なんだと思うんだけど。

というわけで、リリーさんと同じように自分の両親を愛している人には、ほんとうに共感できるおススメの本、そうでない人には単にマザコンとか感傷的とかに見えるおススメできない本、といってしまって間違いじゃないと思う。

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2006年05月25日

パールバック 大地

ままりんにハワイ経由でもってきてもらったので、パールバックの大地を読みかえしていた。
4巻まであるけれど、ワイルドスワンと同じく中国人というものを理解したいひとには読みやすい本だと思う。

ただ、ワイルドスワンにある衝撃はない。あそこには、ほんとうに誰も知らなかった、中国の革命の恐ろしい秘密が暴かれているけれど、大地にそれはない。
まず大地を読んで、ワイルドスワンを読むのが、内容的にも時代的にも正しい順番だ。

****************

ここでも、大多数の中国人の性質が、好きになれる人はマレだろう。

何処よりも親の面倒をみなければならない、年長者には従わなければならない、という慣習で人間をしばりつけているくせに、人間性はそこからかけ離れている中国人。

そうしなければ不孝者といわれるから、親の面倒もみるし、どんなに家を食いつぶす馬鹿ものでも、年長者なら追い出すこともできない。
そのくせ、しなくてもよくなった瞬間から、一切そうしたことをしようとしない。自分より下のもの、年下や女や不具の者や白痴の娘などには、人間としてごく当たり前程度の憐れみすらもたない。

最近私はこう思う。

めちゃくちゃに厳しい儒教、孝行の教え、こういうものは、世界で一番自堕落で慈悲の心もなく、克己心のない中国人を、少しでも人間らしく、礼儀正しく社会の枠組みの中で生きさせるために、なくてはならないものとして発明されたのではないか。

その証拠に、この大地でも、ワイルドスワンでも、ばれなければ人はいくらでも不正をする。
どんな賄賂も、乱暴も、殺人も、平気。
信じられないくらいの意地悪をして憐れみの心は一切ない。

だから戦争になったり、革命になったり、自分たちを抑制する枠組みが外れた瞬間、中国人はすさまじい獣性をむき出しにするのだ(それはワイルドスワンのほうを読んで欲しいけど)。

もちろん、王龍のような働き者も、梨花や、淵のような、もともと正しさを求め、憐れみの心を持った人も、ワイルドスワンなら、著者の両親のようなまっすぐな人も、中国人にいないとは言わない。
もちろんいる。
ただ、あまりにも少数なのだ。
ヨーロピアンや日本人なんかの中に、ごく当たり前にある、たいしたことない程度の慈悲ともいえない、特にルールを守っていると、私たちなら認識しもしない程度の節度すら、ほとんどの中国人にないのだ。

今、ここオークランドにいても、車で割り込ませてあげたとき感謝の挨拶一つしないのも、魚や潮干狩りの制限数のルールを守らないのも、大して長くもない行列に平気で割り込むのも、単位が取れるとなったらほとんど授業にでなくなるのも、中国人だけなのだ。
だけ、というのが言いすぎとしても、とにかく目に付くのは中国人ばかりだ。
(もちろん何人かいる、中国人の友達は、きっと王龍や梨花により近い人たちなのだろうと思う)



そうして、そういう中国人をなんとか社会として成立されるために、ひたすら厳しくなっている儒教、孔子の教えが、そんなものなくてもそこそこ克己心も節度もある日本人の中に入ってきたとき、忠孝のためには命を捨てることも厭わない、世界でも他に例を見ないほど潔い、武士の文化を生んだのではないかと思う。

もともと日本史専攻ではないので、日本史の詳しいことはしらないけれど…ちがうだろうか?

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2005年10月19日

おススメ 英語の参考書

…はないですか、と最近よく聞かれるので、HPのほうに紹介してみた。

これはほんとにいい参考書で、おそらくこっちの語学学校に入った人なら、まじめに勉強しようとしている人なら、学習室か、先生にすすめられるかでほとんどどこかで見たことがあるはずの本だ。

おそらく、ネイティブスピーカーが見ても、ちゃんとしているめずらしい英語の参考書なのだと思う。
つまり、こっちの本屋で、私たちが日本語を勉強したい人のための参考書を見ると、あまりに変で笑わずにはいられないように、たいていの日本人の持っている英語の参考書は、ネイティブスピーカーには見るに耐えないものなのだ。

日本語勉強したい人のための参考書、ほんとに笑えるんですよ、“こんな言い方絶対ないよ〜”とか、“一度も聞いたことない…こんなの…”的表現満載で。
かなり笑えるので是非立ち読みしてみてください。
よく、ネイティブが、日本のかたーい、ふるーい受験英語表現聞いて“そんなの聞いたことないよ〜何ソレ!”とかいうことがあるのとまったく同じ感覚だと思う。

(おそらく、日本に住むガイジンも、日本の本屋で、日本人の書いた英会話参考書読んで、こんな風に笑ってると思う。“誰かなおしてやれよ〜”とかつっこみながら)

私も、日本の学校では、絶対教えてくれなかったような、いや、教えたくても日本の中高の英語教師では知らないようなニュアンスは、かなりこの本から勉強した。

例えば、willとbe going to は置き換えなんかできないって知ってました?(置き換えの英作文とか、テストで出たけど。意味ちがっちゃうのに!)
can と be able toは、置き換え可能だけど、ある特定の場合はできないって知ってますか?

タイトルの“in use(実用)”というとおり、実際の会話で使う、そうしたほんとうに必要なニュアンスを、すごくわかりやすく説明してくれているので、一応の英語知識はあって、かつその上を目指したい人にほんとにオススメです。




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2005年10月17日

ねじまき鳥クロニクル




とりあえず、読むものがなくてジャイアントから借りた。

なんというか…ワタヤ・ノボルが、ジョニーウォーカーさんと似てるよね?
逆か、書かれた順番でいうと、ジョニーウォーカーがワタヤ・ノボルと似てるのか…
具体的なようで抽象的な敵(しかも親族)を、抽象的なところで、抽象的な方法で倒すってところとかが…

正直、羊をめぐる冒険とも部分的に似ているとも思った。
戦争時代からあるモノが、人にうつっていく(この本の場合は頬のあざ、羊の場合は羊そのもの)というところとか。

さらに、物語の重要な部分に、どちらも男性的ではないいい男(けっこう私好みの)がいるってとこも同じ…(赤坂シナモンと大島さん)

もちろん、話の運びやら、いいたいことは違うのだろうけど、それを表現するためのコマ(登場人物)や、用いる小道具(井戸とか。たしかノルウェイの森にも井戸が出てたよね)がいつも似ている。

感じとしては、一人の画家が、同じ絵の具と同じタッチを使って、海を描いたものと、山を描いたものの違いっていうか。

*************************
読み終わって、カフカのときと同じく他の人はどう思っているのか知りたくてアマゾンのブックレビューを見てみたが、はっきりいって、ファンには絶賛されてますな。

私は、自分のおもしろいと思ったものは面白い、つまらないと思ったものはつまらない、というだけなので普段はあまり人の感想などは気にもならないのだが、村上春樹のものだけは、いつも“面白かったのかそうでなかったのかよくわからない”のだ。
それでついつい、他人の感想が知りたくなる。

つまり、読んでる間は面白くて続きが気になるのに、一度読み終わると、いったい全体として、何か読むべきものがあったのかすらよくわからなくなっている…カフカのときにも書いたけど。

私は、京極さんとか、アンナカレーニナとか、銀英伝とか、パトリシア・コーンウェルとか、塩野七生とか、ワイルドスワンとか、地に足がついた小説が好きだけれど、多分、私の“すきではない”スタイルの小説の中では、村上春樹はけっこうすきってことなんだろう。(屈折してるな〜)

ごめん、ほんとに村上作品だけは、的を射た感想が述べられない。

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2005年07月10日

海辺のカフカ

先週一週間、びっくりするほど昼でも暗いような雨降りだったのに、土日はみごとな晴天だった。
週末にお天気を持ってきてくれたNZのお天気担当の神様えらいゾ。

完全に洗濯をして、キッチン掃除をして、車を洗って、洋服の虫干しをしてああすっきり。

その後は、ずっと猫のように、日の当たるふかふかの掛け布団の上で、村上春樹の海辺のカフカを読んでました(洒落じゃありませんよ〜)。

*********************
村上春樹って、いつも読んでいるまっ最中が、もっとも面白いと感じる作家だと思う。
読んでいる間は、完全に彼の不思議な、なんだか青っぽい雰囲気の世界に飲み込まれてしまって、いつもの自分のものの考え方、見方がぐらぐらしてくる。

その間、すごく面白いと思うし、もっと読んでいたいと思うのに、読み終わった瞬間から、その魅力も突然消えて、何が面白かったんだかすっかりわからなくなってしまうのだ。
結果より、過程が大事な人生の一瞬みたいに。

********************
他の人がどう思うのか興味があって、アマゾンの書評を見てみた。

好意的な意見としては
> 100人いれば100通りの読み方ができ、何度も楽しめる、非常に奥深い作品です。
>本当はどうだったの?誰だったの?という部分が残るところはありますが、ある意味、それはどちらでもよいことのような気がします。
> 深く静かな、降り積もる澱のような感動が読後に味わえました。
>村上春樹の小説はページが残り少なくなってくると切ない気持ちにさせられる。いつまでもその世界に浸っていたいと思わされる。(←これが一番共感)
など。

まあ納得ですね。批判的な意見の

>村上春樹ファンはこのような不可解な文章を見て捻った解釈をし、独自の意味を付与してそれなりに楽しめているのだろうが、私には全く理解できなかった。

も、それなりに納得…

私はふだんはふわふわした雰囲気を醸し出す文章はあまり好きではないのだが、ここまで不思議な世界観にひっぱっていってくれる村上春樹は、やっぱりすごいと思う。

でも、作者的に、あえてかもしれないけど、ここまでメタファーに終始しないで、せめてたくさん残される意味不明なことの半分にでも、もう少しわかるように、ヒントを与えてくれてたらうれしいんだけど。一般人的には。

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2005年06月24日

ジャン・クリストフ

ここのところ夜ひまで、ジャン・クリストフを読み返していた。

私は世界の名作好きだけど、名作なら何でもいいってわけではない。
わけのわからない、全然面白くない名作もよくある。

それでも、基本的には、その国の、その当時の雰囲気や常識、人々の考え方がすごくよくわかって、大概は好きだ。

エカテリーナ2世が、ピョートル1世が、何をしたか教科書で勉強するのは簡単だけど、その時代の人がどうやって生活していたのか、町がどんな風だったか、どんな人付き合いをしていたか、アンナカレーニナやら罪と罰なんかの小説を読む以上に、わからせてくれるものはない。
(ところで、当時のロシア文学だけが、あんなに特出して面白いのだろうか?)

そうした本の中ではたいてい人は、今だったら考えられないような常識や習慣に縛られ、苦しんでいた。
それらが学生のときの私に、現代の、日本の、たった今この瞬間の常識なんて後から見ればその程度のものなんだから、そんなことは関係なく、したいように、生きたいようにいきていこうという気持ちを与えた。
と同時に、その時代の、その国の、その場所でだけ有効なほんのちょっとした言葉や、習慣が、とれほど失われやすく、大切で、人を幸せにしてくれるかも教えてくれた。

こうした、例えば100年前のロシアの習慣は、ドイツの常識は、フランスの当たり前は、そうした社会は、かつてはほんとうに存在したのに、もう、今はどこにもないのだ。

日本のサムライももういないように。

かつては確実にあって、人々のすべてを支配していた習慣も、道徳も、概念も、こんなに簡単になくなってしまっているのだ。
今の常識や、習慣や、私たちが縛られてる、でも私たち自身が作っている社会の形も、長く続きはしないのだ…。


*******************
まあ、それはともかくとして、ジャン・クリストフである。

この長い物語ですごいのは、必ず、誰もがどこかにものすごく共感できる部分を、いつでも見つけられるに違いないと思うこと。

10代の人は、1巻の若き日のクリストフのどこかに、共感できるだろう。そして、それ以降の彼の気持ちは、“ふーん”、と大人の話を聞く程度にしかわからない。
今度は5年後、10年後に読み返したら、もう少し成長したクリストフの気持ちがわかる。
母になった人にはルイザの気持ちが、孫を持った人にはジャンミシェルの気持ちが、初恋に我を忘れている人には、結婚したてのオリビエとジャクリーヌの気持ちがわかるだろう。
ロマンローランは、なんとまあ人の心の一瞬の動きを、理解し、描写するのがうまいのだろう!

私が、すべての人の気持ちがわかるのは、もう老人になって、あらゆる年齢を経、あらゆる経験をし、そうしてこれを読み返したときだろう。
おそろしいのは、その頃には、かつてもっとも共感を覚えたはずの若い日のクリストフの気持ちが、逆に理解できなくなってしまうかもしれないこと…

この長い物語を真剣に読めば、誰もが必ずものすごく感情移入できる誰かの気持ちを見つけられる。
初恋をしている時の気持ち、故郷を去る人の気持ち、母を置き去りにした気持ち、再会した気持ち、生活に疲れたときの気持ち、何もかもうまくいっているときの気持ち、昔の恋人に再会したときの気持ち、何も信じられないときの気持ち、芸術家の気持ち、主婦の気持ち、少女の気持ち、職人の気持ち…

誰もが、どこかに必ず自分にぴったりくる気持ちを見つけられるはず。
逆に、今私が「なんてよくわかってるんだ!」とおもったところを、5年後の私が読み返して、同じように思うとは限らない。
最も心に残る部分が、必ず人によって、立場によって、同じ人でも年齢によってどんどん変わっていくと思う。自分の成長と共に。

5年後の私は、5年後の私の状況と気持ちに、ぴったりあった、また別の部分に感動するのだろう。

不思議なのは、ロマンローランが、この老人の心まで描ける彼が、若者の気持ちまでびっくりするほどわかっていること…

長いし、決してすごく読みやすい本ではないけれど、読書好きの人には、(一部飛ばしながらでもいいから)、読んで欲しい本です。


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今回読み返して、「な〜る!」と思ったところ
「習慣は各人にとって第二の天性であるが、大部分の人間にとってはこれが唯一の天性となる」
という一説。
この天性というのは、いまでは個性とでも訳したほうがいいかもしれない。
つまり、例えば味噌汁を作って飲んだり、日本特有の学生服で学校に行ったり、電車に乗ったり、邦楽を聴いたり、という習慣は「日本という国、文化」が私たちに与えた後天的な個性だけど、それを除いたら、ほとんどの人は、個性なんて持ってないってこと。

もちろん、私たちは生まれながらに日本人であるわけではなく、アメリカで生まれ育てばアメリカ人に、ドイツで生まれ育てばドイツ人に「なる」ことで第二の天性を得るわけだけど、そうして後天的に与えられる生活習慣を除いても残る、「私たち自身」というのはどれほどあるというのだろう…

私が、もしも他の国の、他の文化に生まれたとしても、私はきっと、今と変わらず○×だろう、とはっきりいえるもの…
あなたのパーソナリティも、日本人としての、習慣から来るものだけになっていないだろうか?

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「病気はしばしばいい結果をもたらしてくれる。からだはこわすけれども、魂を開放してくれる。魂を清めてくれる。やむを得ず無為の夜や昼を過ごしているうちに、あまりにもどぎつい光を嫌がる思想、健康の太陽に会うと燃えてしまう思想が生まれる。一度も病気にかかったことのない者は、けっして、自分の全部を知っているということはできない」

うーん、ロマンローランいいこというなあ〜


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「女工や、事務員や、公務員など、働いている若い女性が、朝、いつも多少おくれがちに、まださめきらない顔をして、工場や事務所へ急いで行くところを見ると、彼は優しい愛情をいだかずにはいられなかった。女性が女性としての充分の意義を持っているのは、女性が働いているときであり、自分の力で存在しようとし、自分でパンと独立性とを得ようと努力しているときであるように思われた。そうしてこそ、女性はあらゆる優美さ、動作のすばしこいしなやかさ、あらゆる感覚の目ざめ、生命と意志との完全さを持つことができるのだ。彼は、のらくらしている享楽的な女は嫌いだった。そうした女は、不健康な夢にふけりながら、胃の腑を消化させたり、退屈したりしている、満腹した動物のように思えた。」(第7 家の中)

時代は1800年代後半。100年前、町のいい家のお嬢さんなら働きはしなかった時代。ヨーロッパでは、すでに100年前に、こういう考えの人もいたということだ。
日本では、ちょうどぱぱりんやままりんが働き始めたころ、女性が事務員としてなら働き始めていたころに相当するのかなあ…

政治家のこと
「投票するって、いったいだれに投票するんだ?選びたい候補者なんて、一人だっていはしない。ぼくにとっては、どれもこれも知らない奴だし、当選した当日にはさっそく平生宣言している信念を裏切ることは、ありあまりほどの理由ではっきりわかっているんだ。彼らを監視しろだって?彼らに義務を思い起こさせろだって?そんなことをしていた日には、僕の一生はむだに費やされてしまうだろう。ぼくにはそんなひまはないし、力もないし、弁舌の才能もないし、また実際行動のいろんな不愉快さを我慢するだけのずうずうしさも、無神経さも持ち合わせていない。棄権するほうがましだ。ぼくは甘んじて悪を耐え忍ぶよ。だから少なくとも、悪に自分の名前を連ねるのはごめんだ!」(第九 燃える茨)

100年以上前の人のセリフとは思えないくらい共感。

人間、100年たってもなにもかわってません。
ロマンローランも、当時ののフランス大統領とペリクレス(ペリクレス時代を築いた古代ギリシャの政治家です)を比較して、なんにもかわってないようなこと言ってたし…

人間は、2000年以上も前の古代ギリシャからみても、たいして進歩はしてないのでしょう…なにしろ、2000年以上も前の人たちがすでに取り入れていた民主制に、王政やら貴族政やら帝政やら社会主義やらを通過して、2000年ぶりにようやく戻ったばかりなのだから…

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2005年05月03日

ワイルドスワン




今までも、中国のことを述べるときに、常に引き合いに出してきた本だけど、今回改めてちゃんとこの本について書きたいと思います。
これはほんとに面白くて、すごい本です。
本をたくさん読んでる私ですが、この本は、私の読んだ本の中でベスト10に入っています。何十回も読み返したので、そのまま覚えている文章があるくらい。

中国のことを話すとき、この本を読んでない人とでは話しにくい。(自分のだんな様にも、付き合い始めてから真っ先に読ませました。)

読んでない人は、いい機会だし是非読んでみてください!

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この本が何故すごいかというと、ほとんど知られていなかった文革時代の中国の、内側から見た姿を、かなりの情報量で私たちに伝えてくれたはじめての本だからだ(ストーリー自体がすごく面白いのは当然として)。
ちょうど、今の北朝鮮が、ほんとうに国内で何がおこっているか、世界で知られていないのと似ていて、この頃の中国内部のことは、それまでほとんど世界には知られていなかった。

現代は情報社会だから、多少は北朝鮮の内部の話も伝わってくるが、おそらくこの時代の中国のことは、今の北朝鮮以上に、まったく世界に知られていなかったのだと思う。
作者は特殊な生い立ち(両親が共産党員)ゆえ、ほとんどの人が操作された一部の与えられる情報しか得られなかった時代のことを、これだけのストーリーにまとめることができた。


実は、はじめてこの本のことを教えてくれたのは、大学のサマースクールで、ワシントンに行っている間に知り合ったアメリカ人(ジェロームくん)だった。すごい本だから、とにかく読んでみろって。(ワイルドスワンは、最初に英語で発表され、それからいろんな言葉に訳された)
その時は、当然これだけの量を読みこなす英語力もなく、結局日本語版が出されてからはじめて読んだのだけど。
アメリカでもベストセラーになるほど、衝撃的な内容だったのだ。



中国人という集団が、とある瞬間、安っぽいヒューマニズムなんか吹き飛ばしてしまうような、どれほど恐ろしい民族と化すか、この本を読むまでは知らなかった。

当たり前のようなちょっとした親切とか、優しさとか、美しいもの、歴史のあるもの、家族を愛する心、向上心とか、教育とか、そうしたものをすべてを悪いものとみなし、破壊しつくした文革を起こした毛沢東。
何百年も前の、中世の魔女裁判ではない。
これはまだ何十年も大昔という事件ではないのだ。
(ダンスで仲良しのヘレンは、学生のころ、文革を経験したといっていた)


作者のユンチアンと、その家族たちの体験した恐怖というのは、戦争よりよほどひどいのではないかと思ってしまう。
外国の軍隊が攻めてきているのではない。
自分たちの職場、学校にいる人たちに、何故、中国人はあそこまで残酷なことをできるのか。嫉妬深く、意地悪で、乱暴な、ユンチアンの母親の職場の同僚たち。昨日までのクラスメイトを、あそこまで差別し、乱暴し、殺してもなんとも思わない紅衛兵たち。

愛国教育の末に、国を愛してしたことに罪はないと「愛国無罪」を叫ぶ今回のデモを起こした若い人たちが、毛沢東のためなら平気でどんなひどいことでも正義と主張して平然と行う、紅衛兵とまったく同じだと思ったのは私だけだろうか?

中国国内で標的を定め、争いと憎しみを増幅させて行った文化大革命の変わりに、中国政府は日本を標的と定めているだけのことではないかと。


ユンチアンの祖母は、共産党支配の前に、妾だったことがあり、それで生涯迫害され続ける。
親の決めたことに逆らえるような社会でもなく、昔は将軍の妾となることは名誉なことであり、盛大な婚礼までして妾に行かされるという社会状況は、当時の人ならみな知っているはずなのに、そのことでずっと迫害/非難され続けるおばあちゃん。
共産党員の母親も、若い頃にした過ち(国民党の将校と付き合いがあったとか)を、えんえんと非難され続ける。

こうした中国人の性質を見ると、基本的には、中国人には過ちを許すより、何に対しても永遠に非難し続ける性質を持っているとしか思えない。
(これは日本人も、身をもって知っていると思うけど)

私は、中国と交渉する前に政治家に、是非この本を読んでほしい。彼らの性質の一端を理解するのに、必ず役立つと思うから。

そんな中にも強く、愛を失わなかったユンチアンとその家族たち、つらいときに彼らを支えてくれた数少ない友人たち、そうしたまっすぐな人たちが、中国人の中にもいるとわかるのが救いだ。

あれほど情報の操作された狂気の時代に、それでもいつか真理、つまり人を愛したり、花や歴史を愛する心が決して間違っていないという真実にたどり着いた中国人がいる。

今は、そのときに比べれば、それでも格段に多くの情報が入っているはずだから、そうした事実にたどり着いている中国人も、きっともっといるはず。そのことを信じて、そういう人たちと未来のことと、大好きな三国志や一八史略について語りたい。憎みあいながら、南京大虐殺について語るのではなく。



ところで、ワイルドスワンは、中国ではいまだ発禁書に指定されているのだろうか?(中国語版が、台湾では手に入るそうです)

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2005年02月25日

封印再度  ―森 博嗣



ああ、森作品、はじめてほんとに面白いと思いました!

まあ、それなりに面白いと思ってきたからここまで読んできたわけですが…今回、はじめて心から犀川先生を素敵だと思いました!
なんでも京極さんと比べる必要はないと思うけれど、敢えて言うなら今までは中善寺さんのほうが、ずっとずっと魅力的だったのを、はじめて犀川先生がそれに肉薄したでもいいましょうか…

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日本に帰国した際、まとめて買ってきたので、最近まとめて森作品を読んでいたが、この話の前くらいまでは、筋としては面白いと思うものの、犀川先生や西野園さんは、魅力的というより、むしろ彼らの”理系さ加減”が鼻持ちならない感じだった。

おそらく、完全に情緒型文系人間の私には、理系人間のもつある1つの思考性が、羨ましくもうとましい。
数式とか、理論とか、公式とかから始まる何か、文系人間には一生理解できない何か、それが、彼らをして”自分は理系だ”と思わせている何か、そして、理系人間が”説明したっておまえたち文系人間にはわかりはしないよ”、と思っている何か。

そういうのが、羨ましくも、うとましい。

例えば、普通の人間ならするであろう、おはようの挨拶1つしない国枝助手を肯定してしまうこと。”国枝は、無駄なことは一切言わない”、だから挨拶もしない、という文系人間なら大切にしたいような、文化的/情緒的なものを、一切超越してしまう思考性。

例えば、こっちとしては習慣として、文化として、あるいは昔しつけられたからかしらないけど、意識もせずに挨拶してるのに、上記の国枝さんみたいに言われたとしたら、明らかに自分が馬鹿に思えてくるわけですよ。
”挨拶したら気持ちがいい”と信じ込まされてるだけ?もしかして挨拶って意味ないの?こんな習慣や因習にしばられてる自分ってだめ?、みたいな。
理系天才だった元カレの、こういうところが苦手だったからなあ…
元カレの研究室やら学校関係の友達関係で、いい思い出ないし…(←結構トラウマ?)


ああ、今これかいていて本当にわかった。
元カレの友達と会ったときの不快感とか、落ち着かなさっていうのは、やっぱり彼らといると、自分が馬鹿みたいに思えていたからなんだって。彼らは、自分達だけがわかっている何かを認識していて、そういう思考性をベースに会話している。そして、それを理解していない私のような超文系人間に、それを説明する気はない上(しようとしてもできない)、できない人を、まあはっきり言えば心のどこかで馬鹿にしている。

だから、話の中でも、そういう思考性のない刑事達は、ほんとに馬鹿みたいに書かれている。

と、まあここまでは、今まで犀川先生たちに感じていた不満のようなものをぶちまけたわけだが、それなのに今作がなぜ急に私の中で魅力的になったかというと、こうした理系の論理性では図りきれない、犀川先生の情緒的な、つまり論理的でない、つまり魅力的な人格がはじめてかいま見えたから…
元カレに、こういうところがもう少しあったら、この理系人間に対する私のトラウマというか、偏見も、マシだったかもしれないと思いつつ。
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2005年02月07日

パトリシアコーンウェル 黒蝿



えーっっっ!!
ベントン生きてたの!?

すみません、パトリシア・コーンウェルの、検視官シリーズです。作者名だけで買っても、失敗しない作者の一人(宮部みゆきと違って)。

ありえない…スカーペッタと一緒に、ベントンのお葬式まで(心の中で)したのにーっっ
まだこの黒蠅は、読み始めたところだけど、“ベントンは…”というくだりで、「えっ?回想シーン?」
と思ったら生きてるんだもん。ひーっスカーペッタかわいそすぎる。

はじめて「検視官」の一冊目を読んだときは、普通に推理小説っぽいイメージで読んだから、「えっ、これだけ振っておいて、こんなやつが犯人?」と思ったけど、いまや登場人物1人1人がすごすぎて、むしろ背後の事件は、単に彼らの日常の世界として、必要な舞台設定というだけに思える。

結果、いまや事件がどうなるかより、主人公たちがどうなっていくか、どう生きているのか、に関心を持って読み続けている感じ。スカーペッタ若返ったりと、ちょっと設定的には厳しいけど、主人公たちの生き方を見ていくほうが楽しくなっているから、もうしょうがない、サザエさんワールドと割り切ろう、というのが正直なところ。やっぱり終わっちゃったらさみしいし。

(一度BBCの特集でインタビューされてるのを見たけど、かなり強そうな、キャリアウーマン風の女性でした。自分で買ったヘリのスカーペッタ号も運転するそうですし)

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